アイドル戦国時代を戦う君へ

悔しいのに笑ってんじゃねえ

伝説のアイドルだったこと

 

 

 

 

 

Love-tune

 

この名前が使われることはきっともうない。

 

 

CALL

Make it

烈火

This is Love Song

Superman

 

この曲たちが歌われることはもう無いかもしれない。

 

 

 

彼らのジャニーズとしての人生は終わってしまったから。そしてもうすぐ終わってしまうから。

 

 

ああ、キラキラしてたな。

 

誰よりも輝いていたな。

 

Love-tuneが1番なんだよ、どうしても。

 

 

 

 

たった1000日間の奇跡を、ただ知ってほしい。

 

7人で歩んできた軌跡を、ただ知ってほしい。

 

 

 

 

 

2016年3月4日。"Love-tune"という素敵な名前が発表された。愛と、旋律。私はこの名前が大好きでまだ諦めきれません。

 

 

2016年5月21日。Love-tuneは7人になりました。最強のグループになりました。

 

 

2016年10月12日。初めてのオリジナル曲 『CALL』をザ少年倶楽部で披露しました。

    " I believe it and I can do it 

      誰かと同じスピードじゃ 

      追いつけそうもないMy dream "

この歌詞が大好きです。Love-tuneにとってもファンにとってもすごく大事な曲。またどこかで歌えますように。

 

 

2017年5月11日。2曲目であり幻に近いオリジナル曲、『Make it!』がシアタークリエで行われたジャニーズ銀座にて披露されました。この曲はクリエに行った人しか聴けなかった曲。私はこれを聴くことなくジャニーズであるLove-tuneと別れを告げることになりました。

 

 

2017年10月18日~20日。ジャニーズJr.としては異例のZepp Divercityでの単独ライブ『Love-tune Live 2017』を行いました。唯一販売されたグッズ Myuto Morita デザインのTシャツは完売。Zeppでライブをするジャニーズは後にも先にも居ないだろうな。

 

 

2018年1月5日。3曲目のオリジナル曲『烈火』をザ少年倶楽部で披露しました。単独ライブで披露されたフルサイズは6分近くあるそうですがこれもまた私は聴くことが出来ませんでした。Love-tuneの姿が見れなかった半年間、

     "限界なんてない情熱

      臆病な日々に火をつけろ

      運命を自分で変えるのさ 動き出せ今すぐ"

     "悔しいのに笑ってんじゃねえ"

という歌詞に何度となく励まされました。

 

 

2018年3月25日。ジャニーズJr.祭り、夢だった横浜アリーナでの単独公演。夢だった銀テープ。そして夢を語ったジャニーズLove-tuneとして最後のコンサート。謙ちゃんの「夢って最高だろ!?夢見ていこうぜ横アリ!!」。ねえ、まだ夢見てもいいですか?「絶対また会うぞ」。「7人とみんなで幸せになろうね」。ねえ、信じてもいいですか?私はまだ、最後に歌った Dream on が聴けない。涙が止まらなくなるから。

     "限りない夢を 追いかけていくから

      掴み取れるまで Dream on Dream on

      憧れはほら その声に導かれ

      辿り着く日まで Keep on Dream on"

最後にこの曲を選んだLove-tuneがやっぱり大好きです。

 

 

2018年5月11日。5曲目のオリジナル曲『Superman』をザ少年倶楽部で披露しました。そしてこれがLove-tuneとして最後のテレビ出演となりました。この放送回が私がLove-tuneのファンになったきっかけだった。新しいLove-tuneの姿が見れなくたって、好きになるには充分だった。彼らはそういう人たちです。

 

 

2018年11月30日。真田佑馬くん、諸星翔希くん、萩谷慧悟くん、阿部顕嵐くん、長妻怜央くんは11月30日、森田美勇人くんは12月31日、安井謙太郎くんは3月31日をもっての退所が発表されました。あまりにも突然過ぎた。Love-tuneのファンになると決めた時覚悟はしていたけれど、早すぎた。ジャニーズJr.の彼らを応援できたのはたったの半年。もっともっと沢山の思い出を作りたかった。その半分を持ちたかった。素直に「お疲れ様」と言えるほど私は大人じゃなかった。パーティーの途中だったけれど、誰にも見つからないように1人でこっそり泣きました。たったひとつの「お知らせ」で彼らの長いジャニーズ人生は終わりを告げました。

 

 

2018年12月1日。発表後初のらじらー。謙ちゃんがいつも通りなら、こちらもいつも通り聞こうと決めてた。でも、最初の一声であの話があるとわかりました。本人の口からその話を聞くのは辛かった。嗚咽をもらして泣いた。止まらなかった。"Love-tune"という言葉が発せられた時、私の目から堰を切ったように涙が溢れだしました。あんなに聞きたかった単語をこんな形で聞くことになるなんて。でもきっとこの半年間1番辛かったのは謙ちゃんでありLove-tuneのメンバーなのだろうと思いました。その日は泣きながら布団に入り泣きながら眠りました。朝起きたら頬に涙が伝っていました。

 

 

2018年12月31日。森田美勇人くんがジャニーズ事務所から去ります。私は多分笑顔で年明けを迎えることはできません。でもLove-tuneの中では1番小さい9歳という年齢で入った事務所から去るのは大きな決断であって、それを決めた美勇人には新しい未来が描けているはずです。だから私は美勇人を信じて背中を押します。

 

 

2019年3月31日。安井謙太郎くんがジャニーズ事務所を去ります。最後までLove-tuneのリーダーでいてくれる謙ちゃんをLove-tuneのファンとして誇りに思います。美勇人が事務所からいなくなって3月までの3ヶ月間、Love-tuneのメンバーではただ1人事務所に残ることになります。仕事を全うして去っていく謙ちゃんはすごくかっこいいです。頑張る姿を見せたくないと言っていた謙ちゃんが「俺たち頑張ります」と言ったのだからきっとすごいものを見せてくれるだろう。だから私は謙ちゃんを信じて背中を押します。

 

 

 

 

 

Jr.歴も年齢も性格も体格も何もかもバラバラな7人がたったの1000日同じグループでジャニーズJr.として過ごした日々。絶対に絶対に忘れることはありません。

 

 

1000日という短い時間で沢山のファンを夢の場所へと連れていき、事務所から去ることを発表させた、そんな伝説のアイドル"Love-tune"が居たことを知ってもらいたい。忘れてほしくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    「俺たちとみんなでLove-tune

 

 

 

 

                                                            2018.12.10

 

ジャニーズJr.の彼ら

(1部のジャニーズファンの方に不快な思いをさせる可能性がありますので自己責任でお願い致します。)

 

 

 

 

 

「ジャニーズJr.ってアルバイトみたいな感覚なんです」

 

 

 

先日、とあるジャニーズタレントの新聞での発言が波紋を呼びました。

 

 

 

新規ではありますが私も一応Jr.を応援している身です。正直愕然としました。

 

そんな気持ちでJr.をやってきて生ぬるくデビューしたのかな、と。

 

彼らのファンの方たちは「Jr.はアルバイトのようなポジションであると言いたいだけだ」と仰っていました。が、記事には『20歳になったらちゃんとした仕事に就くというのがテーマだった』と書かれています。つまり、ジャニーズJr.はちゃんとした仕事ではなかった、アルバイト感覚だった、という捉え方になってしまっても致し方ないのではないかと私は思います。

 

彼がそういう考え方で今までJr.としての活動をしてきたのかと思うととても残念でした。

 

 

 

 

 

話は変わりますが、私はこの間、実力テストで60点台を2教科も出してしまいました。合計点数でいうとギリギリセーフ、というラインでしたが60点台なんて人生で初めて出した点数だったのでそれなりにショックを受けました。

 

 

そんな時ふとジャニーズJr.たちのことを思い出しました。

 

 

現在300名以上居るといわれているジャニーズJr.ですが、やはり中高生が多く居ます。なかには小学生も。自分と変わらない、自分よりも幼い彼らが自分の夢を叶えるために学業とJr.の活動をどうにかして両立させようと日々努力しているのです。「学業優先」というジャニーズJr.のルールに則り、大学受験のために活動を休止するJr.もいます。

 

彼らにはテスト期間なんて関係なく仕事が入ってきます。移動時間や休憩時間に勉強するしかないのです。ほかのクラスメイトに比べたら明らかに勉強量は少ないでしょう。それでもほとんどのJr.が高校まできちんと卒業します。

 

慶應義塾高校に通っているといわれているSexy美少年の那須雄登くんは「大学に行くという前提で親がJr.の活動を認めてくれたから、親の期待に応えるために勉強もしっかり頑張ってる」と雑誌で発言していました。

 

私の好きなLove-tuneの中にも現役大学生が2人います。ジャニーズJr.として活動しながら大学受験をして合格して大学に行きながらまたJr.の活動をして。

 

尊敬以外の言葉が浮かびませんでした。

 

彼らはこんなに努力しているのに、一体自分は何をしているのだろうと情けなく感じました。

 

そう思った日から私は少し、気の持ち方が変わりました。朝起きるのを1時間早めて勉強したり、モチベーションが上がらないときは彼らのことを思い出して自分に活を入れたり。たゆまぬ努力の先に夢を叶えることができるのだなと学びました。

 

 

 

 

 

ジャニーズJr.は決してアルバイト気分でやっていけるようなことではないと思います。立派な仕事です。あの発言をした彼にも、彼を庇うファンの方たちにも、もう少し考えた言動をして欲しいと思います。

 

 

 

 

 

                                                       2018.11.22

顕嵐くんの入所日前夜に考えること

 

 

 

 

阿部顕嵐くん入所8周年おめでとう。

 

 

 

 

顕嵐担になって初めての誕生日をお祝いしたあと、次にお祝いできるのは入所日だなと心待ちにしていた日でした。

 

 

 

そんな日の直前に届いたニュース。

 

阿部顕嵐退所説」

「MyojoのJr.大賞意気込みページに安井・真田・諸星・萩谷・顕嵐がいない」

 

 

1つ目については全く何も感じておりません。と言いたいところですがやはり自担にこういう騒動があると少しは不安にもなります。それでも私は先日も言ったとおり「Love-tuneを国民的グループにしたい」という顕嵐くんの発言が大好きなので、それを達成していない段階で顕嵐くんがジャニーズという世界から姿を消すとは思えません。

この話が出てからTwitterでもその事については全く触れずに暮らしてきました。検索窓に「阿部顕嵐」と入力すると「退所」という単語が出るのが嫌だったというのも理由です。ファンが騒ぎ立てることでことが広がりややこしくなってしまうのも彼を担当している身としては苦しいことです。とにかく、私は顕嵐くんが事務所を辞めるのは今ではないと思っているので、無条件に信じられます。顕嵐くんの入所8周年は笑顔でお祝いします。

 

 

2つ目。Jr.大賞の意気込みの件については電話で問い合わせた方がいらっしゃったらしく「掲載がないのはスケジュールが合わなかったから」という返事が返ってきたそうです。

正直、そんなわけないだろうと思いました。実際今はっきり言ってLove-tuneメンバーには仕事がほとんどないのですから、ほかの仕事が入ってスケジュールが合わないというのは有り得ないだろうと思ってしまいました。ではプライベートな都合があったのか?萩ちゃん顕嵐くんは大学があるので分からなくもありません。特に萩ちゃんは卒論の時期なので断ったというのも考えました。謙ちゃんにも映画関係の取材があったのかもしれないけれど美勇人くんは掲載があるのだから映画関係でスケジュールが詰まっていたという可能性は低いと考えられます。

やはりスケジュールの都合というのは単なる言い訳であってLove-tuneのメンバーとしては雑誌に呼ばれていないのだろうなと思いました。

ただしJr.大賞については『意気込みの掲載がなくても投票は反映される』ということなので私はもちろん顕嵐くんに投票しますし、Love-tuneのファンの皆さんは自信を持って自担さまに投票していただきたいなと思います。自担の載っていない雑誌を買うのは少し気が引けるかもしれません。私もそうです。でも今の状況、すごく悔しいです。だったらファンで協力してMyojoのページをらぶメンバーで占領してやりましょう。

例え票がもみ消されたとしても集まった票数はLove-tuneを求めている人達の数を顕著に表すものです。それは出版社や事務所に大きくイメージを与えることが出来るのではないでしょうか?今年のJr.大賞はLove-tuneメンバーが総ナメです。頑張りましょう。

 

 

 

 

 

さあ、改めて顕嵐くんの入所8周年をお祝いしたいと思います。

 

 

 

まずは、おめでとう。

そして、ありがとう。

 

私は顕嵐くんのファンになってまだたった5ヶ月。8年間の中の5ヶ月です。ああ、短いなと思います。顕嵐くんを知らずにすごしてきた7年5ヶ月はすごく勿体ない時間だったなと思います。それだけもっと早く出会いたかったなと思うような人です。

でも、7年5ヶ月の空白のあと顕嵐くんに出会って好きになって応援できているのは顕嵐くんがジャニーズという世界で8年間も戦ってきてくれたからです。ただのファンである私が言うのもなんですが、芸能界というのはすごく不安定な場所だと思います。特にジャニーズJr.なんていつ闇に隠れてしまうか、いつ陽が当たるのか、何もわからない状態だと思います。後輩の背中を見ながら踊ったこともあっただろうと思います。きっとすごく悔しかったでしょう。それでも8年間という長い間コツコツとここまで歩いてきてくれた顕嵐くんを尊敬しています。ファンとして誇りに思います。

 

ジャニーズに入ってくれてありがとう。

ここまで続けてきてくれてありがとう。

出会わせてくれてありがとう。

好きにならせてくれてありがとう。

 

9年目も10年目もおじさんになっても大好きです。

 

 

 

 

                                                  2018.10.23

私の担当は多分いつまでも居る。

 

 

 

いつまでも 居ると思うな 親と推し

 

 

 

 

そんな言葉を聞くことがあります。

Jr.担をしている身としては考えさせられることが多々あります。Love-tune、どこに居るんでしょう。寂しいです。正直、すごく寂しい。辛い。悲しい。苦しい。虚しい。夏にコンサートをした、YouTubeをしている、Mステに出た先輩後輩たちが羨ましい。そして、すこし憎い。

 

 

どうして?って毎日思います。そんなこと言ったところで私たちの力だけじゃどうしようもないことは分かっています。でも1mmでも、たった少しでも希望があるなら諦めたくないし声を上げ続けていきたいです。

 

 

 

私は昔から何かと考えすぎてしまう性格です。考えすぎて悩んで自分で自分を苦しめてしまうことが多々あります。それで他人と関わるのも他人の声を聞くのも嫌になってしまった時期がありました。自分の体を傷つけたこともありました。なんのために生きているんだったっけ?そんなことを毎晩考えていました。本当に辛い時期でした。それからしばらくは毎日をなんとなく過ごして、というかこなしていました。

 

 

そんな時にLove-tuneに出会いました。

 

 

感じたことの無い輝きを目にしました。“この人たちを応援したい”と猛烈に感じたのを覚えています。それがどうしてなのかは自分でもわかりません。でも『Superman』の少クラ披露を見たあの日私の心は確実にLove-tuneに向かい始めていました。

 

 

阿部顕嵐が好き。でもその前にLove-tuneが好き。私が好きなのはLove-tune阿部顕嵐。らぶのメンバーの中で笑っている顕嵐くんが好きだし、顕嵐くんを笑顔にしてくれる、大事にしてくれる、そして顕嵐くんが愛しているLove-tuneが好きです。私が顕嵐くんを好きになった時点で彼はもうLove-tuneだったし、じゃあもしLove-tuneじゃなかったら私は阿部顕嵐のファンだったのだろうかと考えたらきっとそうじゃなかったんだろうなと思います。

 

 

顕嵐くんはLove-tuneを世間に広めていく面では柱のような存在だと思っています。外部の舞台にも、映画にも出演しました。『Love-tuneを国民的グループにしたい。』そう言ってくれました。こんな状況のなか雑誌で全員の名前を出してくれました。顕嵐くんはLove-tuneとして這い上がっていくことを望んでいるとしか思えません。

 

 

ジャニーズJr.の世界は例えユニットを組んでいようと根底では個人戦。仲良しこよししているだけでは生き残れない。永瀬・平野の件でそれは分かっているつもりでした。でもLove-tuneに関しては違うなと私は思います。Love-tuneの中から一部誰かがデビューする未来というのが見えないんです。ファンだからだろう、という意見もあるとは思いますが、

 

Love-tuneを誰より大切にしてくれる謙ちゃんがいて

「何をするのもメンバーと一緒が1番楽しい」と言ってくれる真田くんがいて

よろけるメンバーを支えてくれるもろがいて

Love-tuneを選んでくれた美勇人くんがいて

Love-tuneは人生の教科書」と言ってくれる萩ちゃんがいて

Love-tuneで世界進出する」と言ってくれるながつがいて

そして「Love-tuneを国民的グループにしたい」と言ってくれる顕嵐くんがいて

 

それでLove-tuneです。こんな7人を今の状況のまま何もせずに放っておいていいのでしょうか。このまま諦めるなんて私にはできません。

 

 

Love-tuneじゃないとダメだったんです。Love-tuneと同じ夢を見たい。Love-tuneと幸せになりたい。Love-tuneの未来は7人でのデビューしか待っていません。今はそれに向かって突っ走るのみです。らぶが歩く道は私たちが作って待ってるよ。さあLove-tune、みせてやろう。

 

 

                                             2018.10.21

そういう世界

 

 

 

これを読んでいる人はLove-tune担もしくはJr.担やその他のジャニオタさんだと思います。だからLove-tuneの現状について知っている方が多いのではないかな、と思いながらそれを前提に書いていきます。

 

 

 

Love-tuneのメンバーは今Love-tuneとしてのお仕事がありません。少なくとも今私たちに見えているところでは。理由はわからない。テレビから、雑誌から、Love-tuneの文字が消えました。最近ニート3関連でLove-tune表記が出てきた雑誌もありますが、明らかに事務所の圧がかかっていると感じる部分もあります。らじらーでも安井くんが必死にLove-tuneという単語を避けているような空気を感じました。極めつけはえび座の緞帳。“ジャニーズ全グループ”の名前が書かれているはずの緞帳にLove-tuneの名前はありませんでした。どうして彼らはLove-tuneなのにLove-tuneを名乗ってはいけないのだろうかと不思議でしかないし、以前ならLove-tuneと名前が出ていただろうなという場面でその単語が出ないと、虚しくて悲しくてどうしようもなくなります。

 

 

 

 

らぶ担になって早々こんな状況におとしめられた私は思い出すことがありました。

 

 

 

 

 

以前私は某有名事務所のレッスン生で結成された育成ユニットを応援していました。ジャニーズ事務所でいうJr.みたいなものです。

活動を開始した時から追いかけ、メンバー変更や推され方の違いに悩みながら約2年間。離れていた時期はあったものの毎週ある配信は欠かさず見ていたしある程度現場にも行っていました。

ある日、A・B・Cに分かれていたチームの中からAチームがデビューに向けて本格始動すると発表がありました。私の推しはAチームのメンバーでした。本当に嬉しかった。やっと努力が報われると思いました。ユニット名も募集されて、沢山考えて沢山ツイートしました。Twitterのフォロワーが増えるようにリア友に頼んで回りました。

 

それほど、楽しみにしていました。

 

 

それから半年近く経った日。イベントのあとの生配信でメンバーからこんな言葉が発せられました。

 

“全員卒業”

 

つまり、解散。

 

涙も出なかった。そんなわけがないと思ったから。今までのこの子達の頑張りは何だったのだろう、期待していたファンの気持ちをこんなにも簡単に裏切るのか。悔しかった、呆れた、食欲もなくてただひたすら「ごめんなさい」と書かれたブログを繰り返し読みました。

それが2月末でした。

 

3月末、最後のワンマンライブ。たった1公演東京だけの開催。人生初の遠征でした。

 

号泣しました。

 

1人で入った現場、周りに知っている人なんていない。思い切って泣くだけ泣いてやりました。受け入れるしかない、受け入れようと思っていたけれど、いざ目の前までやってくると寂しくて悲しくて悔しくて涙が勝手に溢れました。みんな泣いていた。メンバーも、ファンもみんな。

 

そして、ワンマンライブの3日後にラストイベントを終えた彼らはグループとしての活動を終えました。

 

それから半年たった今、事務所をやめてフリーでアーティスト活動をしている子もいればひたすらレッスンに打ち込む子もいます。

 

 

 

芸能界って、そういう世界なんだと突きつけられました。どれだけ頑張っても、ファンがいても、叶わないまま終わる夢もあるのだと。

 

諦めなければいけないこともあるのだと。

 

 

 

 

Love-tune、どんなことを考えているのかな。どんなことを感じているのかな。

元気ですか?ご飯ちゃんと食べてますか?

 

夢、追いかけてますか?

ファンのこと、一瞬でも思い出してくれてる?

 

 

 

 

私は諦めません。

 

「これからもおれたち7人とみんなで幸せになろうね」

 

その言葉を信じているから。

 

                                                   2018.10.10

 

ジャニーズJr.のファンになった話

 

 

 

初めまして。

 

まさか自分がはてなブログを書く日が来るなんて思ってもいませんでした。(笑)

だって普段見ているジャニオタさんたちのブログはありえないくらい語彙力が高くてはてなブログなんてハードルが高いと思っていたから。

 

でも自分が好きになったものを好きでいる期間どんなことを考えていたのか後から見返すのもいいかもしれないと思って始めてみることにしました。

こんなブログを見ている人がいるのかどうか分からないけれど、ゆったりマイペースに書いていきたいなと思っています。もしかしたら2日連続更新してるかもしれないし3ヶ月更新がないかもしれませんが悪しからず。(笑)

 

最初の記事に何を書こうか迷ったのですが、まあまずは今の担当Gを好きになった経緯から今日までのことでも書いておこうかなと思います。

 

 

今の私の担当GはジャニーズJr.内ユニットの【Love-tune】。ちなみならぶを推す前はジャニーズWESTのファンをしていました。

じゃあなぜらぶに降りたのかと言われると実はよくわかりません。自分がどのタイミングでらぶに堕ちてファンになったのかすらも把握していないのです。

ただカメラフォルダを遡ってみると、5月15日にSupermanの動画を保存していたので多分このあたりかららぶにハマっていたのだと思います。(もうお察しだとは思いますが今年の話です。ド新規です。)

そこから順調にらぶの沼に沈んでいき、今ではズブズブです。(笑)

 

じゃあここから時間軸に沿って振り返っていこうと思います!!

5月の中旬あたり らぶに堕ちる。

↓(ひっそり応援していた2ヶ月半)

8月のあたま Twitterでらぶ垢をつくる。

8月17日 Myojo10月号にLove-tune表記がないことを知る。らぶの状況には新規ながら気づいていました。なんせ自分がらぶ担になってから少クラで姿を見ていない。ポポロなんてとっくにLove-tune表記が消えていた。

8月18日 人生で初めてドル誌を買う。(Myojo9月号)Love-tuneが厚紙になっていたことに逆に恐怖を感じた。

8月22日 デタカがらんれおみゅだけということを知って絶望。2冊買う予定だったけど1冊も買わないでおこうかと思ったくらい。結局1冊買いました。

8月28日 初めてファンレターを出す。(with Love-tune応援プロジェクト)

9月2日 ジャニショで初めてらぶに貢ぐ。

9月24日 ポポロの諸星翔希(ジャニーズJr.)の表記に泣く。これは終わったかもしれないと思いました正直。でも諦めきれなかった。支えるって決めたんです。初めてJr.担になってこんなにも辛いことが多いんだなって改めて感じた日。

10月5日 d誌の顕嵐くんの発言に泣く。Love-tuneって単語はでてないけど(出しちゃダメなのかな)メンバーの話をしてくれてそれが載るってことはいい方向に動いてるはずっていう嬉し泣き。

 

こんなもんですかね…

らぶ担になって4ヶ月ちょっとの短い間に色んなことがありました。どっちかというと悲しいことが多かったのかな。上げて落としたり落として上げたりまた上げて落としたりと事務所に振り回され続けた感じです。

これからどんな方向に動いていくのかわかりません。でも昨日の(正確には今日発売ですが)顕嵐くんの発言で大分ラクになったような気もします。

 

まとまりなくなっちゃったけどこれが私のらぶ担になってからの話です。これからもいっぱいLove-tuneを応援していきます。

 

どうかこれからLove-tuneにいいお知らせが沢山ありますように。Love-tuneが7人で笑顔でいられますように。

 

 

                                                 2018.10.6